エリザベス・ハイチの『イニシエーション』を手にするのは2度目になります。
はじめて手にした時、
読んでも内容がしっくりこず手放してしまいました。
数年経って再び手にし読み始めると
イニシエーションに纏わる様々な内容とその密度の濃さの中に
宇宙の法則や魂の成長が伺えます。
この本は著者であるエリザベス・ハイチの自叙伝と言われており
彼女自身が記憶している「みずからが啓示を見出すにいたった体験」を
語ったもの。
エジプトでの鮮明な体験には
いやがおうでも引き込まれずにはいられないのです。
自分の外に神を探しているとき、人は全身全霊で神について考え
神に祈り、神を愛そうとするが、神と一体ではない。
外側をいくら探しても、決して神と出会うことはできないのだ。
その人の創造主とはみずからの<自己>であり、その人の中心からもっとも遠い
最後の現れが、小さな『自分』。つまり個人である『私意識』なのだ。
個人の『私』とは。神のイメージが物質をとおして体に写し込まれたものだ。
ゆえに人が神の元に戻ってふたたび神と一体になるためには、同じ道筋を意識的に
さかのぼらなければならない。
すなわち、個人としての小さな『私』から意識を引き抜いて奥へ奥へと分け入り、
真の<自己>である自分の創造主と一体化して、神の中でみずからを悟るということだ。
ただしこれは、生き物である個人がこの状態に気づくという意味ではない。
個人とは想像の産物でしかなく、実際そこに存在しているわけではないので、
真の自己意識に達することはできない。
それとは逆に、創造主が個人の中にいる<自己>自身に気づくのだ。
これが一なる状態から分離してしまった意識を元に戻す唯一の道である。
個人が自分について考えるのをやめ、みずから<自己>になって自分を認識する。
そこには『認識者』と『認識されるもの』と『認識』が一つになる。
つまり、創造主である<自己>が、<自己>の中に<自己>を認識するのだ。
人間はこのようにしか神を体験することはできない。これが『復活』だ。
この状態にあるものは、<自己>が自分を創造し、今も絶えず創造し続けていることを知っている。
そして<自己>が創造主であり、ただ一つの<自己>が宇宙全体の創造主であることことにも気づいている。
この神の<自己>を悟るとき、同時に全宇宙の創造的な意識を体験する。
すなわり、<自己>の悟りに達すると、あらゆるすべてを知っている全知に達するということだ。
(『イニシエーション』より)
外側にばかり目を向け、個人である『私』を<自己>だと思っている限り
個人の檻の中にい続けることになる。
『私意識』から抜け出し、一なる状態になること。
それを思い出し、そこにかえろう。
神の言葉、宇宙の法則は、それを教え、導く者によって表現の仕方、
方法に多少の違いはあっても源は同じなのだと思います。
ありてあるもの、それは私なり。
愛するすべての中で、私は私の<自己>を愛する。
私たちが愛していないと思い込んでいるものは、例外なく私たちの中にあるのに
今だ認識されていないものだ。
すべては一つだ。
すべての存在を等しく愛そう。
『イニシエーション』
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